人材バンクに登録承認いただきました

いつも様々な生涯学習機会を頂いていている「まなびネットおきなわ」さん。

「生涯学習人材バンク」があったので、
試しに個人登録を申請したところ、登録承認いただきました。

沖縄県の皆様の生涯学習の機会に寄与できますよう頑張ります。

沖縄のシャーマニズムを考える


ユタの境界を生きる人々: 現代沖縄のシャーマニズムを再考する (アカデミア叢書) 単行本 – 2020/12/31
平井 芽阿里 (著)


何となく目にとまり、読み始めた。

2000年ごろから起きたスピリチュアルブーム以降、沖縄でヒーラーとかセラピストとかスピリチュアルカンセラーという人に多く会うようになったが、どうも、自分の知っているユタとかサンジンソウとかのような存在とは異なるような気がした。

前者は何かしらの能力・技術を持っていて、何かを「等価交換」する仕組みがカチっとした存在。

後者は沖縄に古くから存在していて、信じるか信じないかは自分次第のような「占い」のようなフワっとした存在。


20代前半に、大正生まれの祖母に何気にユタのことを聞いたことがある。
私の祖母はお盆の儀式(ウークイ)を18時には終わらせて簡素化するなど、あまりそういう信心深いことに関心がないと思っていた。
そんな祖母にユタについて尋ねてみると「気休め」と言い放ち、思わず笑ってしまった。

「人が突然亡くなったりすると、蝶が飛んできたり、鳥が屋敷に入ってきたり、不思議なことが起こる。
 そんなことにいちいち悩んでも仕方ないので、ユタに聞いて気休めする。」

簡素化好きな祖母らしく、私も祖母の『指針』をまねることにした。



沖縄にいると、そういう不思議な話を普通にしていて、日常生活に支障がでるほどのことにはならないのであまり気にはしてはいなかったものの、シャーマニズムには関心があったので個人的にあれこれ見聞きして調べていた。

本書では、サーダカウマリでユタであるがカミダーリはなく、何かが体に入ってくるのでそれは瞑想で取り除き、ユタという仕事は家族に迷惑をかけるので、講座を受講して前世療法のセラピストになり、時に右手に何かを宿して霊的治療を行うヒーラーであったり、時に何かと交信するチャネラーであり、脱魂せずに変性意識状態を自由自在に行うシャーマンである宮古島在住の方(水樹さん)のこれまでのエピソードを、名古屋市出身で宮古高校卒業生の文学博士(平井さん)がシャーマニズム研究として先行研究を交えながら整理された本になっている。

エピソードには龍宮を守るための海中の魔物退治や、病気で困る人の病巣を取り除く治療など、
本人が試し試しでやってみてうまくいった素人っぽい内容に親近感を感じるというか、
アニメやマンガを読んでいるようなファンタジーな感覚になる。

学者の立場から分析・考察された本の内容は、この20年近いスピリチュアルブームを整理する資料としてとても素晴らしい内容であると当時に、沖縄のいろんな「不思議」を詳しくしったり、国内外のスピリチュアルとも比較できてとても面白い。


さらに、冒頭にあった「聖地荒らしに極力配慮したい」という思いにとても感銘を受けた。

最近、tiktokやinstagramやyoutubeなどのSNSに「自称」スピリチュアル系が祈りのような願い(懇願)をしている様をみる機会が増えて、とても気になっていたからだ。

おそらく神のような超越する存在は親のような寛大な愛でもって受け入れるとは思うのだけど、やはり、長い年月の間、多くのスピリチュアル系が大事に大事にその場所を清め守ってきた「時空」をSNSに自分が映り込んで晒す「目的」とはなんなんだろう?と思う。

何かしらの「お告げ」がそうさせるのかは謎であるが、私は超越した存在は「目立ちたがり」ではなく「恥ずかしがり屋」だと勝手に推測している。

本書からの学びを最後にまとめる。

魔はその力で一時龍に化ける。そして人にわかりやすい能力を与えて崇めさせる。
神様は力は与えない。宿題を与え、その過程を時に厳しく時に優しくいつも本人の気持ちを尊重して親心のような愛で成長見守る。

自分の思い上がりに気をつけよう。

一方的にやる優しさ

(本より抜粋)ーーーーーーーーーーーーー
本当に追い込まれた人間は、助けての声が出なくなる。そして、「してほしいことある?」と聞かずに一方的にやってくれることが、ようやく助けての声を絞り出すためのプロセスになる。何より、温かくありがたいのだ。
脳が壊れた (新潮新書) 2016/6/16 鈴木 大介 (著)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以前、とある仕事で窮地に追い込まれた。どこにも相談できず、進めることしかできない状況にあった。

20代前半、いろいろ追い込まれて、情報が混線して頭が壊れそうになった。

幸にして、日常生活がストップしたり、仕事ができなくなるようなことはない「脳内処理」で済んだものの、身体的なアクシデントだとした場合、自分はどうなるんだろう?と考えた。

「いつ死んでもいいように」と冗談めいたことを言いながら生きてきているが、この場合の「死」とは「即死」を意味しているので、「瀕死」だった場合のリスク管理は自分はできてないことに気付かされた。

また、著者のいう「助けての声が出なくなる」について思い当たることがある。

以前、「佐渡山さんには『助けてコミュニケーション』が必要です。『助けて』と言えばいいんです。」と。

言われた時はなんて優しい言葉なんだろうと感激したが、実際のところ助けてをいざ言おうとなると、どう言っていいかわからなかった。またその言葉をかけた人達は特に何かをしてくれるわけでもないので、結局は自分一人で抱えて自走することしかできなかった。またそれにより後ろ向きな感情を持つようになってしまったが、この本を読んで自戒し、自分もそういう一見思わせぶりな発言を改めようと思った。

著者が言う「聞かずに一方的にやってくれることが、ようやく助けての声を絞り出すためのプロセス」、そう、まさにそう、大変そうだなとわかったら、何も聞かずにやってもらえた方がありがたく、声を絞り出すあるいは何かしらのプロセスに進める。

これは勉強を教えている現場でも応用できると思う。「わからないことがわからない。でも、なんとなくわかったような気がするけど進んでいいのかな?」と不安に思っている時に、「大丈夫?」と聞かずに「わかったつもり」でいいからちょっと進めてみようね、みたいに。

今となっては、先の追い込まれた経験や頭が壊れそうな経験はとてもいい経験をさせて頂いた。しかし、40歳を超えると「脳内処理」で片付かないことを想定せざるを得ないので、いざと言う時の対処法をまずは運動から日々コツコツ構築していく必要がある。

『程よい世話焼き』『いい加減なお節介』という言葉を聞いたり使ったりするが、そのいい塩梅ってのを自分もできるようにしたい。

・・・余談・・・
こちらの本は、ルポライターが書いたからなのか、読めない漢字、日常であまり使わないのですっかり読み方を忘れた漢字が続出して面白かった。復習の為に恥を曝しながらメモ。

  • 畢竟
  • 呂律
  • 瘦軀
  • 邂逅
  • 僥倖
  • 河豚
  • 不貞腐れる
  • 慚愧の念
  • 苛まれる
  • 膠芽腫
  • 拘泥